「僕らにとっていちばん重要な価値観は、末永く、愛着を持って使えるモノをつくり続けることです」。
「株式会社 石見銀山生活文化研究所(以下、群言堂)」は今、企業として世代交代の時期を迎えています。世代が変われば、ひとも変わり、ひとが変われば、受け継げるものとそうでないものが出てきます。経営戦略室室長の新井洋二郎さんは、これからの群言堂の担い手たちに、会社が向かうべき指針を言葉にし、伝える役割を担っているのです。
兄貴みたいに、頑張れるひとになりたい
── 所長である松場登美さんの著書『群言堂の根のある暮らし』の中には、新井さんのエピソードも書かれていました。若い頃はやんちゃな一面もあったのかなと思っていますが、今日はそんな昔のお話から、お聞きしたいです。
新井洋二郎(以下、新井) 読んでいただいてありがとうございます。僕には兄がいますが、ふたり共できが悪かったものですから(笑)、学校を卒業後も就職先が決まらず困っていたんです。するとある日、僕らのいとこが兄に「島根におもしろい会社があるよ」と、群言堂を紹介してくれて。いとこは、群言堂の第一号店の「広島 そごう」のフロアマネージャーをしていたんです。
── それが入社のきっかけだったと。決め手は何でしたか?
新井 兄貴を見ていて、自分も「頑張れるひと」になりたいと思っていたからです。昔から兄はかなり無理をして一生懸命仕事をするタイプで、かたや僕は介護福祉系の仕事を辞めて「このままでいいのかなあ」とフラフラしていた。そんな時に、兄貴が群言堂へ入社しないかと誘ってくれたので、やるっきゃないと思いました。
── ふふ(笑)。入社してからのこともお聞きしたいです。
新井 有楽町にあったそごうでの販売、東京での営業を経て、群言堂直営店の担当になりました。その頃には販売管理のための数字を分析できるようになったので、どれくらい商品を用意すれば、どのくらい売れるのかが分かるようになって、ものすごく仕事が楽しくなりました。毎日深夜12時くらいまで数字とにらめっこしていましたね(笑)。
── 前のめりになって仕事をしたくなる時期が、やってきたんですね。
新井 商品の販売計画を立ててみたり、MD(*1)の学校で商品の手配から出荷までを学んだりしながら、1年目はがむしゃらに働いていました。2年目は復習、3年目から自分で少しづつ挑戦できるようになって、4年目にいざ本番!というタイミングで、会長(松場大吉)に飲みに連れて行ってもらったんです。その席で会長に「島根に来て欲しいんだけど、どうか」と誘われて、今に至ります。
(*1)MD:マーチャンダイジングの略。商品をいつ、どれくらい仕入れ、どのように販売し、管理するかなどの流れをマネジメントすること。
会長から「何があってもお前はついてこい」と言われた日
── 東京から島根に来たのは、2003年のことですね。
新井 島根に来たら営業企画部の課長としてMDになりました。群言堂ではほんの一時、素材は国内の生地を使い、縫製を中国で行っていた時期がありました。でも、一部のお客さまにとっては、やはり印象が良くないということが分かって。
── そうなんですね。
新井 群言堂のイメージダウンが起きかねないと思いました。だから、当時中国生産を進めていた会長にたてついたんです。このままだと「登美」ブランドが売れなくなってしまう、と。僕が営業時代からお客さまに対して売っている群言堂像は、登美所長そのもの。所長のつくった商品をいっぱい売りたいって、営業している時からずっと思っていました。
若かったからか、「自分は『登美』のこの商品を売りたいんだ。そのためにもあの商品はお店に置かない」とか勝手なことを言って、会長や所長にかなり怒られていました。それでも懲りずに、あれこれ提案をし続けていたら、会長に「お前がMDやれ」と言われ、任されるようになったんです(笑)。
── 威勢のいい若者だったんですね。今は、とても落ち着いていらっしゃるから、あまり想像できないです。
新井 今だって、あたふたすることはありますよ。
── 意外です。
新井 2010年くらいだったかなあ。半年間で、営業企画の課長職に加えて、部長職と製造の課長職の3つの仕事がすべて同時に舞い込んできた時があります。
目の前に膨大に積まれたのは、やったことのない仕事ばかり。群言堂を辞めたいと思うくらい、とても大変でしんどい時期でした。そんな時に会長から「ちょっと飲みにいかんか」と誘っていただいてね。
── ……会長にはおそらく何か、ここぞ、と思うタイミングがあるのでしょうね。
新井 そうかもしれません(笑)。その席で会長は「俺だって、自分の会社なのに、たまに来るのが嫌で嫌でしょうがないときがあるんだぞ」と言ったんです。……これを取材で話したと知られたら、会長に怒られるかもしれないんですけれど。
── 自分で創業した会社なのに来たくないことがある、と。辛いですね。
新井 僕にとっては、会長だって人間で、たくさん悩んでいるのだと初めて知った出来事でね。自分の悩みなんかたいしたことないし、今の状況への感謝が足りなかったんだと痛感しました。
その時に「わしも頑張るから、何があってもお前はついてこい」と会長に言われて、「もう一度、徹底して仕事に向きあおう」と決意した。そしてすぐに経営戦略室をつくる話を聞いて、数年経って実際に立ち上げるとなったときに、今の部署に異動することになりました。
── 会長との話で、新井さんにもっとも響いたのはなんだったのでしょう?
新井 会長はあの時、表面的に「頑張れ」と僕に助言するのではなく、同じ視点に立って会話をしてくれた。僕の心境を感じ取って、声をかけてくれたことが嬉しかったんですよ。
「末永く、愛着をもって使えるモノ」をつくる
── 大吉(会長)さんとのエピソードは、群言堂さんらしさを感じます。「らしさ」と言えば、経営理念の中に、「美しい循環」という言葉がありますよね。
新井 はい。
── この「美しい循環」の意味って、すごく奥が深いと思うのですが、新井さんはどうお考えになっていますか?
新井 この言葉は、植物が実をつけて地に実を落とし、落ちた実から芽が出て勝手に育っていく……ということに似ていると思っています。人間も植物と同じ、自然の中で生きる「生き物」です。僕も親になって、「子どもを幸せにしてやろう」とは思わなくなりました。なぜなら、僕が幸せを与えようと必死にならなくても、子どもたちは自分で幸せになるから。僕は「幸せになれる力」を子どもに身に付けてほしいと思うんです。
── 幸せになる力を養うには、どうしたらいいのでしょう?
新井 自然界の摂理と同じように、「美しい循環」には「見返りを求めず、相手に与えること」が必要だと考えています。子育てで言うならば、ただ子どもが立派に成長すれば、それでいいと思っている。会社では年上の人が年下の子に対して、若手がこれからの群言堂を担っていけるように、ちゃんと教えてあげることが理想です。
先輩は後輩を前に出して優しく仕事を見守る。先輩から機会を与えられた後輩はものすごく成長するし、その後輩に後輩ができた時に、同じことをしようとしますよね。
── まさに循環ですね。
新井 うちには長見(長見早苗)というベテラン社員がいるのですが、最近は彼女を中心に、群言堂の文化を継ぐ意識が芽生え、後輩を育てる必要性を感じる先輩組が増えています。しかし、継ぐといっても先代のコピーをすればいいということではありません。ひとが変われば、やることが変わるのは必然ですから。
── それは惜しいことでありながら、裏を返せば「変わることができる」意味も含むはず。受け継ぎたいことは何かを考えることが、大切な気がします。
新井 そうなんです。企画会議では「末永く、愛着を持って使えるモノ」を生みだすことが、群言堂がもっとも重要にしたいことだと落ち着きました。だから極端に言えば、商品の見た目(デザイン)が変わってもいいんです。でも群言堂が持つ魂だけは変えたくない。
── 私たちも、たった数日の取材でいろいろ見せていただきましたが「変わってほしくないこと」がたしかにある、と感じています。
新井 変わらないために、変わり続けなければならないんです。ゼロからつくり出すのが得意な会長と所長の話を聞きながら、そして自分の想いを込めながら、僕らがありたい姿を経営計画書という書面にまとめていくのが、現在の僕の仕事です。
── 翻訳者のような役割ですね。
新井 今まで会長が社員に向けて語っていたことを、社員のみんながちゃんと理解できる言葉にする。たとえ陳腐な言葉になっても、共有するためには形にしたほうがいい。それに、今こそ言葉にすること自体を、みんなで考えてみるべきだと思っています。
── それはなぜですか?
新井 「どう働くか」が「どう暮らしていくか」と重なるのだということを、個人がぼんやりとイメージするだけでは、間違いなく社員全体には伝わらないと思うから。なんとなくのイメージのままだと、継ぐべき魂として強固になりにくい。みんなで考えてみて「この言葉がしっくりくるね」と心から思える表現を指針にしたい。だから、その方針をつくるための方針、があるんですよ(笑)。なんだか面倒で手間だけれど、みんなが自分で考えて納得して進んでいけるような会社でありたいと思っています。
── その方針をつくるための方針のひとつを、もし可能であれば、少し教えてくださいませんか。
新井 他人と自分を比べたり、ないものねだりをしたりするんじゃなくて、過去の自分と比べて自分が成長できているかどうかで、幸せを感じられる人になってください。うちの所長(松場登美)はこう言います。
「足もとの宝を見つめよう。身のまわりの物事に感謝して、自分で満足を得られるようにならないと、幸せにはなりませんよ」と。こういう価値観は、これからも変わらず持ち続けたい、群言堂の魂です。
お話をうかがったひと
新井 洋二郎(あらい ようじろう)
山口県岩国市出身。経営戦略室室長。幼少の頃は父親の仕事の関係で転勤が多く大阪、千葉、山口、神奈川などで育つ。小学校6年生のとき登校拒否になり、随分長い間引きこもりの生活をしていた。20歳の頃、親戚関係の高齢者福祉施設で仕事を始め、ご高齢の方々に喜ばれた事が社会復帰のきっかけとなった。その後、兄の誘いで石見銀山生活文化研究所に入社し、東京で4年間営業を経験、島根で12年の企画製造経験を経て、経営戦略室への配属となった。会長、所長には自分を雇ってもらえたことを心から感謝している。
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